3日に初任科が卒業し、今日から各消防本部での勤務が始まっただろう。
今日は月曜日だ。
今までであれば、学生が復校し賑やかであったが、もぬけの殻となった学校は静まりかえり、巣立っていったのだと改めて感じる。
時間にして、初任科836時間、救急科269時間。長いようで本当に短い8か月間であった。
思い返せば、4月の入校時はひどいものだった。
この消防学校は、小、中、高校のようないわゆる一般の「学校」ではない。
消防の最初のいろはを教えるための「職業訓練校」である。
入校当初は毎年毎期そうであったのかもしれないが、この期は特に、時間を守れない、期限も守れない、制服は着こなせない、整理整頓はできない、動きは悪いし元気も覇気もない。おまけにルールも守れない。本当にこいつらは大丈夫なのかと思った。
3年間初任科を見てきて、入校時のレベルとしては最低であるとも感じた。
8か月終わってみれば全て改善されたものの、当初、担当としては非常に頭を抱えた。
3年間初任科をみていると、色々なことがわかってくる。ここでこうすればこうなる。この時期はこのようになる。わかった上でこちらも色々仕掛ける。
しかし、この58期は度々良い方向に大きく期待を裏切ってくる。
4月終わりに実施した耐久歩行訓練の際は特に印象的であった。
自分は、学生の体力等のレベルを踏まえ、あえて一定数の脱落者が出るように重装備とし経路を設定した。
ただ物を持って歩くだけと舐めてかかると、とんでもない目に遭うのがこの訓練である。
脱落する悔しさ、任務を完遂できない情けなさを感じてもらうつもりであったが、この目論見は外れ、全員が任務を完遂した。
決して例年より楽であるはずはなかったが、最初から怪我等の痛みで体調が万全でない者も数名いる中で、えらそうな担当に一泡吹かせてやろうと思ったのかもしれないが、編上靴の中がずるずるになっても一人も脱落する者は無く、互いに叱咤激励しながら最後まで歩ききった。
「思っていたより、団結心と根性がある」入校から約1か月経って、少しの成長と一つの部隊としてまとまり始めたと感じた瞬間であった。
5月中旬には、リーダーとなる役員4名を選出した。
役員は最後までよくやってくれたと感じる。教官と学生の板挟みとなり、苦労も多くしただろう。
学生自治はほぼ任せていたが、見えないところで尽力してくれた。
この4名、感謝に絶えない。
真夏の実科訓練は過酷を極めた。
最近の夏は異常に暑い。
初任科前半の実科訓練は大きく、救助・機器取扱訓練と消防活動訓練に分かれる。
訓練を行う屋外は、太陽が照り付けアスファルトからは陽炎が立ち上り、放水した水は一瞬で蒸発していく。
屋内訓練場は風通しも悪く、蒸し風呂のようになり、立っているだけで汗が滝のように落ちてくる
消防活動において「暑さ」は大敵だ。
余談であるが、学生の年代ではわからないかもしれないが、ひと昔前、一部の中学や高校の部活動、特に運動部に見られたものであるが、「夏の練習で水を飲ませてもらえない」という文化があった。
先生、先輩の目を盗んでトイレの蛇口から水をがぶ飲みしたりしたものだが、最近はこういったものは見られない。
なぜか?暑さは命の危機に直結すると認識されたからである。
消防においても同じようなことが一部昔は見られたが、それは解消され、現在、全国の消防本部では、真夏の活動における熱中症対策等の研究が盛んに行われている。
訓練においては、休憩中に水分補給を積極的に摂るよう指示してきたが、現場に出れば「休憩」は無い。
真夏のいつ終わるのか、先も見えない現場も多々ある。
暑さは一例に過ぎないが、消防人として、最大限「我慢」はしなければならない、しかし、限界を超えての「無理」はしてはいけない。
過去にも同じことを言ったが、気合、根性等の精神論は時代にはそぐわないのかもしれないものの、消防の現場活動において、そのような精神部分におけるものが大きな要素を占めることは確実だ。
根本的な体力、技術が身に着いているのが前提であるが、「助けたい」「なんとかしたい」というその気持ちが潰えた瞬間、要救助者へのあと一手、あと一歩は届かない。
初任科の訓練を通して最大限我慢した結果の今の限界は知れただろうか?
自分が限界を超えて「無理」をすれば、そのツケは自分自身、仲間、住民、要救助者へ必ずいく。
最大限の我慢をしなければならない。しかし限界を超えての無理はしてはいけない。
これは、現場活動だけに限ったことではない。
このことを、消防人として根底に置いておかなければならない。
新型コロナウイルス感染症。全世界で猛威を振るい続け、我が国では小康状態にあるものの、未だ予断は許さない状況である。
この感染症は去年に同じく、58期においても大きく影響した。
救助技術指導会、消防団操法大会の中止、初任科の各行事も中止または縮小となり、果ては県、各市町が数年に渡って準備をしてきた国体までも中止に追い込まれた。
世間は全てが自粛傾向であった。
課程期間中、学生は集団で訓練をし、寝食を共にして生活する。
この「コロナ禍」において、そのような教育訓練、生活をさせるのはいかがなものか?という手厳しい意見も、もしかするとあるのかもしれない。
しかしだからと言って、この初任科教育を実施しない又は中止するというのは絶対にできない。
三重県内各消防本部、災害に対して圧倒的優勢であることは少なく、隊員1人1人の責任感と高い能力が求められる。その最初の教育を行うのが初任科であり、実施しなければ、直接、住民サービスの低下、消防力の低下に直結する。
警察官、海上保安官、自衛官も同じであるが、「命を守る」立場の者を、最初の教育無しに現場へ投入することは絶対にできない。
そのような中で教育を実施するにあたり、多くの感染対策を行った。
仕方のないことかもしれないが、例年に比べ、学生間の交流も少なく、初任科前半の「団結力」という部分には少なからず影響があったと感じている。
学校職員、教官、学生、毎日が綱渡りであった。
事実、休日に罹患してしまった学生はいたものの、速やかな報告で影響を最小限にくい止めることができ、学生達もしっかりとした行動ができていたと思う。
この世の中、どんなこともできて当然、やってもらえて当然ではない。
初任科も多くの人の尽力があって教育を行い、終えることができた。
一刻も早くこの国が「普通」の状態に戻り、後輩となる来年度の初任科生が、例年どおり各行事も交えて教育を行えることを切に願う。
この8か月間で皆すっかり顔つきは精悍になり、体格も成長し、61名は様々な困難を乗り越え、消防士として強く成長してくれた。
「即戦力の警防隊員の養成」が初任科の目的であり、学生全員がその目標を概ね達成できたと思う。
しかし、「即戦力の警防隊員」としての知識、技術以外にも多くのことを得たはずである。
言ってしまえば、単純に知識と技術だけの警防隊員を作るだけなら、消防学校で教育をする必要はない。
消防学校で、同期達と寝食を共にし、訓練に励み、時には歪みあって課題、困難に直面し、それを克服していったことでしか得られないことがある。
仲間とは何なのか?助け合い協力するとは何なのか?全力とは何なのか?
それらがわかった上での「即戦力の警防隊員」であり、この初任科教育の意味であった。
「終わりは始まり」
最後にも言ったが、この初任科の8か月間など、この先数十年に渡る消防人生の最初の過程に過ぎない。
今日からが本番であり、実戦である。
配属されれば、もう今までのように自分以外の60人の仲間はその場にいない。
自分で考え、判断し、動いていかなければならない。
各教官から色々な言葉があったと思う。その意味もこれから解る。
つらく苦しいこともあるだろう、理不尽なこともあるだろう、悲しかったり腹が立つこともあるだろう。
もしかすると、自分が思っていたような場所と違うかもしれない。
しかし、それらすべて、君たちが選んだ道である。
自分で選んだ自分の人生である。
「最大限我慢はしろ、しかし限界を超えての無理はするな。」
最後の最後まで味方となり、支えてくれるのは同期だけだ。
この58期の団結と絆、死ぬまで大切にしてほしい。
そして、絶対に自分の命を危険にしてまで何かをしようとしてはならない。
「人命救助最優先」これには自分の命も含まれている。
要救助者、仲間、家族のことを想うなら、まずは自分の命である。
家族はこれからも、朝出て行く度、サイレンが聞こえる度、日々君たちを心配する。
感謝の気持ちを忘れるな。
自分と約束した、「死なない・病まない」も忘れるな。
何かあれば連絡してこい、言ってこい。教官皆、いつでも待っている。
自分と、某スキンヘッドの教官はここを3月末で去るが、心はこの先も共にある。
強く、優しく、謙虚に、この先多くの人を救っていってほしい。
君たちの安全と活躍を願っている。
大したことは何も教えれはしなかったかもしれないが
自分自身、君たちから多くを学び、成長ができた。
8か月間、ありがとう。
「自分達に、ここまでやったらいいというラインはない」
「体はHOTに、頭はCOOLに」
初任科58期担当教官 栗須 竜平
雑 記
初任科卒業式があった日、久しぶりに早く帰り、1週間ぶりに妻と子供の顔を見た。
何か文句を言われるかと思ったが、妻はいつもどおり「お帰り」と迎えてくれた。
1歳4か月の子供もおにぎりを食べながら愛想笑いで迎えてくれた。
消防の仕事は、家族の理解と支えなしではやっていけない。
自分がこの教育を無事終え、学生を送り出せたのも、家族の支えがあったからに他ならない。
日々、感謝である。
「終わりは始まり」初任科が終わって学校は終わりではない。
各教官は来週以降の専科教育に向け、余韻に浸る間もなく、卒業式後からそれぞれ動きだした。
常に前へ、常に先へ。
やはり、消防士は切り替えのプロである。